はじめに

 平安時代には多くの宮人、歌人がここ白川の里を訪れ、山紫永明の泉境を幾多の詠歌

に残し、文化発祥の地として栄え、多くの貴い遺産文化を、私達の祖先が今日に至るまで受け継いでこられたとは大きな誇りとするところである。

 しかし、北白川に関係する多くの貴重な古文書や、記録等は、応仁の乱、天明の大火、洪水等によって焼失し、或いは流失、逸散等によって確定する資料のないまま現在に至った。

千数百年の長い歴史を祖先から代々と口伝えに頼りながらに受け継がれてきたのが実情である。

 しかし現今の世祖においては、最早口伝えのみで伝統文化等を守ってゆく事は困難となった。

 このときにあたり、今日まで受け継いできた伝統文化を正しく文書に記録し、後生に引き継ぐことが私達の責務であることを痛感し、ここに北白川の持つ数々の伝統文化の内、特に壱之鉾、十六人老分に関係のある事柄らを細部に亘り記録し、今後の参考資料として永く保存してゆきたいと思う。

 

一 白川の里人について
二、北白川天神宮縁起
三、 髙盛 (朝御饌の儀:あさみけのぎ)
四、祭式について
五、鉾の由来について
六、十六老分の始まりとその制度