九、 [当人] と [当屋] の意識

 当人は既に [交り子] として特定の鉾に登録し、老分となる資格を得たものを対象として、席順人名帳に基づき、順次当番となって祭礼のとき氏神に奉仕し十六人老分を招待し氏神に髙盛を献饌する制度である。

 当人となる人数は二名を單位として (現在は一名) 毎年祭礼ごとに順次奉仕してゆく。

 当人となった者は、

丁度武士が元服するに似た儀式で当人の服装も

    裃を着用するのが原則である。

このような儀式を受けた [当人] はもとより、その家族・縁者等挙げてこれを祝福した。

 しかしながら、 [交り子] の席順によってすぐ [当人] となることはできず、順位により、最初の年は [太鼓] につく [鉦すり] を奉仕し、翌年は鉾行列の際 [ふくちり] 持ちとなる。

 このように連続二年の間 [鉦すり] [ふくちり]  持ちを勤めた後初めて [当人] となることができる。

つまり [鉦すり] を奉仕する順番に当たった者は、三年目に [当人] として、その年の祭礼に奉仕するのである。この [当人] を [神仕え当人] とゆう。

 祭礼時、当人二名の内、順位が上位となる者が当番宿を勤め宿を奉仕する [] を

[当屋] とゆう。

 当屋となる家は、その年の始めより秋季大祭が終了するまでは一切の罪穢を避け、不浄を忌慎して身心を清浄に、御供当番を勤めるのである。

 神幸祭前日より [当屋] となった家族、その親族等が集まり、鉾立・床飾り。提燈立等の準備をし、氏神に献饌する髙盛を御膳盛の人々によって徹夜で行い、早朝古式によって神前に献饌した。

この間 [当人] は夜を徹して氏神に祈願して髙盛が無事納まることを祈り、又十六人老分宅に七度半の使をして刻限を知らせた。

 このようにして一生に一度 [当人] となった者は、氏神に髙盛を献饌し十六人老分を招待し肴酒を振舞うのである。

これらの経費一切 [当屋] の負担であった。 (現在は鉾組織において負担している。)