(一) 鉾立準備
以前は総べて [ 当屋 ] において行っていたが [ 当屋 ] の■■をなくすため現在は十六人老分が行っている。
神幸祭前日、指定時刻に集まり、諸道具をお旅所より藏出して [ 当屋 ] において組み立て、又床飾り等行う。
(二) 諸道具の収納
還幸祭の翌日、 [ 当屋 ] より諸道具を収納し御旅所の指定場所に納める。
諸道具の収納に際し、員数の確認、破損の有無の点検を行う。
(三) 背中費の微集
還幸祭の翌日、 [ 壱之鉾株主名原簿 ] 記載の名簿に基づき、老分が分担して、定められた年間費を徴収し鉾運営資金の一部として充当する。
(四) 壱之鉾の講について
昔は [ 鉾 ] 組織に共有財産を保有し、その利潤によって経済をまかなって
各鉾共、神饌田が約二■程あって、この田地を鉾当番の人々が共同で耕作し、採れた米、野菜、などを秋祭りの神饌に供え余分の物は当番の費用に足していた。
しかし、時代の流れと共に経済的な変化激しくこれに対する対策として、明治四十二年 十月壱之鉾の [ 講 ] が発足した。その後回を重ねる内、諸般の状況により一時中止されたが、戦後 昭和二十三年 十月 維持会として再発足し後、
昭和二十八年 三月二十三日 一盛会と名称を改め現在に至る。
千数百年の歴史をもつこの地に、由緒ある黒鉾を奉戴して、北白川の宝として氏神に■り、里の安全と隆盛を祈り、天神宮と黒鉾を中心として、鉾運営に当たって来た十六人老分が、永い歴史を歩みながら数々の儀式、行事を今に伝え、この貴い遺産文化を守ってゆく事を、子孫に伝えることを願い、この資料の一端でも参考となれば幸いである。
以上
吉村 新一郎 記