寛文年間のころ(江戸初期)照髙院官道晃親王が白川の村人を御殿に招かれ、神事祭式の方法を教えられた。
そのとき 御所祭式と
大名祭式の
二つの祭式を教えられたという。
御所祭式は、
衣冠束帯で、着座祭式で御神酒を頂受するときの神酒銚子は、口が上端で開いた物を用い、杯は土器のものを使う。
大名祭式は、
長柄銚子に朱塗の杯を用い、長柄銚子は護身のために柄を長くし、銚子は黄銅で太刀の打ち込みを防ぐようにできている。
今、各鉾が祭式を行っているのは、大名祭式を取り入れたものである。
又、祝宴、振舞には紋服とし、神事には裃を着用し武家行列も裃とし立体祭式で合引の腰掛を用いた。
それ以後、村人達は神事、婚礼、葬祭等は男子は裃を着し、婚礼には柄銚子を使ったのである。