三、 髙盛 (朝御饌の儀:あさみけのぎ)

  髙盛は出雲の住民が天使大明神に、五穀農穣を祈念して、五穀稔の秋に感謝の祭事を行ったとき、海の幸として鰑、飛魚等、野の幸として、米、豆、芋、大根等を神前に供えていた。その古事に習い天神宮と改称された。寛文年間の頃に、白川の里人が現在の型に整え、以来三百十年の歴史を今日に受け継ぎ、秋季大祭(神幸祭の早朝・朝御饌の儀)に献饌されている。

始めの頃は、御供当番より神饌と同型の髙盛(勿論簡素にしたもの)を氏全体(鉾仲間の株家)に一膳づつ下げて直会を頂くのが例になっていた。これを総膳といった。

 総膳は当時で百何十膳と下げるので当番の家族は、親類や近所の人達の手伝いを得てこの総膳に当たったが嘉永年間のころ、費用と労力等の関係からこれを改め、総膳が廃止され各鉾の壱老(壱番尉)のみ従来通り下げられていたが。昭和三十八年北白川伝統文化保存会の発足を機にこれも廃止となり現在に至る