(一) 壱之鉾
天使大明神に一剣の黒鉾があった。この鉾は、後小松天皇の御代 (室町時代) 御所御造営のとき、白川の里人が奉仕した記念として御所より御下賜になったときの黒剣と伝えられている。
この鉾には年号が刻んであり
延喜八年 八月 十三日 (西暦908年)
の刻銘がある。
この黒鉾を里の宝として祭事にこれを祀り、里の安泰と隆盛を祈り又、疫病拂い等にも祀って祈りを捧げたもので、この黒剣が壱之鉾の始めである。
この黒鉾について (尺素従来) によれば、祇園長刀鉾、粟田の爪鉾、岡崎の犬鷹鉾と同じく祇園祭には白川の里よりこの黒鉾も参加したことが記されている。
壱之鉾の黒鉾は薙刀に三階松で中央に兜を現したものである。
この形は、將軍・家綱公の時で武を表したのである。
(二) 貮之鉾
寛文年間、照髙院宮が天神宮と改称され、宮家御祈願所とせられた時に創立されたと伝えられている。
この鉾は葵と菊を現し、葵は徳川蔣軍を、菊は照髙院の宮を現したものである。
(三) 参之鉾
貮之鉾が創立して間もなく、北白川天神宮の森に、奈良春日神社より春日大名神を祀ったときに出来た記念の鉾である。
参之鉾は紅葉に鹿と春日大名神を現したものである。
又、各鉾共、見送りは十六弁の雪輪菊を現した立派なものである。
一 白川の里人について 二、北白川天神宮縁起 三、 髙盛 (朝御饌の儀:あさみけのぎ) 四、祭式について 五、鉾の由来について 六、十六老分の始まりとその制度