一 白川の里人について

桓式天皇が都を山城の地に定められ、延暦二年長岡( 現在の府下長岡京市 )に仮皇居を置かれた。

その後、延暦十三年に遷都された時、大和の住人が平安京に入り、白川の里に住み大極殿等を建立し、又その頃、出雲の住人が舟に乗り若狭の地に上陸して、近江路を経て髙野川上流、途中を越えて若狭街道から京の都に入り、ここ白川の里に永住した。

 このようにして白川の里に古くから住んでいた土着の者と共に、大和、出雲人等によって栄えてきたものと思われる。

一 白川の里人について
二、北白川天神宮縁起
三、 髙盛 (朝御饌の儀:あさみけのぎ)
四、祭式について
五、鉾の由来について
六、十六老分の始まりとその制度
七、鉾の制度
八、交り子の制度
九、 [当人] と [当屋] の意識
十、鉾十六人老分の年間行事
十一、祭事の作法について
十二、 その他 

無形民俗文化財

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