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近江八幡 冷泉寺 寺歴

今から千二百年前の大同三年(八〇八年)行基菩薩開創の七堂伽藍を備えた巨刹「蔓陀羅坊」(千僧供廃寺)遺跡を継承由来する。

御本尊十一面千手観世音菩薩立像をはじめ、 薬師如来坐像、地蔵菩薩像、多聞・持国・増長・広目の四天王立像の七体は平安時代の仏像で 国の重要文化財に指定され、(昭和二十六年)この蔓陀羅坊の尊像であったものである。

 貞観十七年(八七五年)頃、諸国に悪病が流行し幾千人という大勢の犠牲者がでる。

五十五代文徳天皇の第一皇子惟喬親王が第二皇子惟仁親王(五十六代清和天皇)に皇位を譲位 し、山城国水無瀬宮を後にして、近江国君ヶ畑へ巡錫されたとき病苦の悲惨さに心を痛められ、当蔓陀羅坊に滞在し千人の僧侶を集め病魔退散の祈祷供養をされると、みるみる悪病が 退散し平和、安穏が訪れました。

この因縁により寛平年間(八八九~八九七年)、蔓陀羅坊 は五十六代清和天皇より鎮護国家の勅願所の御宣下を賜る。

当地名もこれまでの「中村」より「千僧供養村」(千僧供町)と称し、御本尊十一面千手観音は病魔除けの観音様として 永らく人々の信仰を得て、栄えました。

また、千僧供町の小字名、 「堂の前」(本堂の前) 「堂の内」(本堂の内) 「堂の街道」(本堂の参道) 「蔓陀羅」「北浦(亀虎)」(方学名)「馬場」等は冷泉寺と関係しているのであります。

 元亀年間(一五七〇~一五七二年)戦国武将織田信長の比叡山焼き討ちに際し、蔓陀羅坊 も七堂伽藍ことごとく焼失し、辛うじて村人の屋敷の土蔵に七体の仏像だけが火災を免れ残る。

 天正十五年(一五八七年)加州中納言卿が天台僧可山導印法師と名乗って当地を巡錫され たとき草庵を建て、この七体の仏像を奉安し信仰の庵とされた。

 寛文十年(一六七〇年)美濃の国より禅僧満庵和尚(冷泉寺御開山)が当地に詣で曹洞宗に改める。

 宝暦八年(一七五八年)本堂の大改修工事(現在の冷泉寺の原形)される。

 安政三年(一八五六年)冷泉寺 十一面千手観音様の御厨子が建立される。

 大正十一年(一九二二年)冷泉寺 本堂の増築工事され現在に至る。

平成十六年(二〇〇四年)冷泉寺 本堂の庫裡新築工事され現在に至る。

平成二十年(二〇〇八年)墓地永代供養塔等周辺整備築工事完了し現在に至る。

 山号は岩倉山に蓮華に似た大きな岩に因み大岩山、寺号は岩間よりこんこんと湧清水が絶えざるを見て冷泉寺とし、
大岩山冷泉寺と称することとなる。

その他 冷泉寺へお気軽にお問い合わせください。

一般名称 : 冷泉寺 (レイセンジ)
所在地 : 〒523-0016 滋賀県近江八幡市千僧供町252
電話 : 0748-37-7680